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2011年オーストラリア旅行1
序章 10月12日(水)
10年務めていた会社を辞め、一念発起して農業を始めた、岩手県八幡平市在住の息子の家に、結婚後10年―半ばあきらめかけていた、子供を授かった。結婚当初は26歳だった息子の嫁も36歳。近年では決して高齢出産とは言えない。 が、初産でもあり多少懸念もあったが、無事、予定日より1日早く生まれた。女の子だった。菜穂と命名されたその子、私たちにとっては3人目の孫は、2日目の朝、母親に抱かれてすやすや眠っていた。出産が遅れれば、対面を待たずに出発―となるところだったが、まずは、首尾よく対面してからの出発となった。妻は、母親が落ち着くまでベビーシッタ兼家政婦の役を買って出たが、私は、運転手くらいしか役に立たず、かえって邪魔になるので、この際思い切って、海外に出ることにしたのだった。
10月18日(火)、午前10時30分羽田発、香港経由メルボルン行きキャセイ航空機。なんと4年ぶりの海外出張の目的は、いろいろ―
・4年前にメルボルンで好評だった講演。テーマは妻と共著の「熟年夫婦が垣間見たオーストラリアの魅力」と、この20年の経験を綴った「感動のシニアライフ」。アンコールを頂きながら、延び延びになっていた講演会にようやくおみこしを上げた次第。
・それに、22年前に初めてホームステイさせて頂いたマイケル・ジーンテアン夫妻の夫マイケルが2年前85歳で亡くなり、ネットで花束を贈ったものの、そのままになっていたこと。
・それに、姉妹都市、国際交流の中心人物で、私をポートスチーブンス市名誉市民に推薦してくれた中の一人で同市の元市長、NSW政府議員だったジョン・バートレットが、50代の若さでガンに倒れ見舞って以来、そのままになっており、その後、急逝した知らせを受け取りながら、そのままになっていた。遅ればせながら、弔問したい旨、申し出たところ、現市長のボブ・ウエストベリーから、「新しい姉妹都市委員にも紹介したい」との熱烈歓迎のメールを受け取っていたからだった。
飛行機は、順調に香港空港到着。香港は以前の空港から新しい空港になって以来初めて。『広い』『大きい』と聞いてはいたが、ビジネスクラスのラウンジを探すだけで大汗をかいてしまった。何しろ、香港人は日本語はもとより、英語も独特の発音で聞き取りにくいのも、迷子?になった一因。ラウンジのパソコンには日本語ソフト入りもあり、持参した小型パソコンはここでは不要。メルボルン行きまでには、5時間の待ち時間があったが、パソコンのおかげで、退屈しないで時を過ごすことが出来た。ラウンジにはさすが香港、おいしそうな料理も並んでいたが『機内食』が待っている?ので、自粛。
10月19日(水)メルボルン行きの飛行機は東京―香港間のボーイングより一回り小さいエアバス、座席はすべて他人に煩わされず立ち居できる形式で、リクライニングシートは、完全に180度になるキャセイ自慢のスペシャルシート。期待の?機内食は、オードブルだけで満腹になるほどの豪華メニュー、しかし、ステーキがいかにもうまそうなので、食べてしまった。さすがに、魚料理には手を付けられず、そのまま就寝。だが、2,3時間熟睡して、日付が変わった頃か、目が覚めると、赤道付近の乱気流で凄いturbulentが襲った。飛行機慣れしているはずの私もさすがに眠れない。そのうち、乱気流も収まって、再び2,3時間まどろんだ頃南半球への長旅の末、メルボルン空港に到着した。
だが、そのあとがひと波乱、なんと、入国管理に並ぶ人の列が数百メートル、文字通り『長蛇の列』を成しているではないか。実は機内食で普段よりたくさん食べた効果?のせいかトイレに行っているうちに、列の後ろに並ばざるを得なくなったことも禍の原因か。と思ったら、見覚えのある飛行機の隣席の客がずっと先へ行っていたはずなのに、少し先に並んでいるのだ。どっち道、この『難行』から免れることはできなかった、と納得。実に、晴れて入国できたのは、列に並んでから、1時間後のことだった。アメリカほどテロのチェックは厳しくないので、一人当たりの所要時間は、数十秒から長くても1分以内。だからいかに多人数の入国者が並んでいたかがわかる。
そうだ。最近の各国の政情不安、経済・財政破たん、失業者続出の中で、この国の資源、石炭、鉄鉱石、宝石(オパール、独特のダイヤモンド)をめぐってこの国は注目されているのだ。特に日本の大震災、福島原発事故以来、ドイツなど各国が原子力から自然エネルギーに切り替えはじめ、この国の石炭、天然ガスへの需要が急増、価格は高騰、労働者の求人も上昇中―という背景があったのだ。この4年間にオーストラリアの様子は一変した。というよりも
・世界が激変したと言うべきだろう。
この4年間私がご無沙汰している間に世界では、紛争、失業、財政危機が相次ぎ、それぞれの国の
困難を逃れようとして、人々はこの、平和で充実したオーストラリアに『職』と『平和』を求めてやってくる、というよりも「殺到』しはじめている。
さらにBRICSなど新興国の富裕層はこの『資源大国』に「ビジネス・チャンス』の「夢」を託す。これが入国ラッシュ、溢れる外国人となって
現れているのだと痛感した。夢大陸は今世界と共に『曲がり角』にいるようだ。
早速、予約してあったマントラ・オンザパークへ、なかなかのホテルだが、13階の4号室。気にする人なら、縁起悪いという数字だが、なかなか眺めもよく素晴らしい部屋で、
キッチン、冷蔵庫はもちろんオーブンや食器類、電子レンジから応接室、バスタブ付き
ツインベッドと至れり尽くせり、少々高めだが1泊しか取れないのは、人気があるからろう。
写真はホテルからの眺め
ホテルの屋上には室内プールもあり、早速リラックス、10メートル×3メートルのサイズで普段泳いでいるプールよりさらに小さいが、タオル、サウナなどもあり、設備としてはまあ、十分だ。
この日のメルボルンの気候は心配していた寒さも和らいだようで、むしろ暑いくらいだった。当地の
春特有の風が吹いていて、この点は4年前と変わらない。
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